昭和42年03月23日 朝の御理解
信心のある者とない者は、親のある子とない子ほどの違い。信心のある者とない者は、親のある子とない子とほどの違い。おかげを受けると、例えば同じ一万円のお金を儲けさせて頂いたと。信心のある者も一万円のおかげを頂いた。信心のない人もやはり一万円の儲かりを頂いておる。ところが信心のない人が、いわゆる頂いた儲けたというのは、親のない子ほどの違いを、そういう中にも分からして頂くということ。
皆さんがおかげを頂いて、やはり財産も築かせて頂かなければなりません。健康でもなかならければなりません。その健康も神様のおかげで健康なおかげを頂いておると、思うておるのと思うていないのというのは、大変な違いになってくる。神様のおかげで財産が出来たと。私が働いたから、財産が出来たというのとは、もう大変な違いである。それは、親のある子とない子ほどの違いというものを。
やはりそういうおかげの中にも、分からせて頂くということが信心なんです。神様のおかげを頂かなければ、ここ一寸動けんのだと。神様のおかげを頂かなければ、本当に神様のおかげで、神様のおかげでとこう思わして頂いて、いや思い込ませて頂いて健康であり、いわゆる財産であり一切のおかげと思うおかげがです。神様のおかげとこう、思うか、思わないかということです。
だから信心を頂いておっても、それをおかげをおかげと実感しきらなかったら、信心のない人が例えば健康であったり、財産を作っておったりするのと、さほど変わらない。どうぞ信心の尊い信心の有り難いという、親のある子とない子ほどの違いというものは、おかげを頂いて今日があったんだと。おかげを頂いて、今日お生かしのおかげを頂いとるんだと。おかげを頂いて商売をさせておるのだと。
おかげを頂いてから、儲けさせて頂いきよるのだということを、心から分からせて頂くと。そこんところを一つ、分からせて頂くと、そこから、おかげも頂けれれば、ここからは、また、言葉、言外の言と申しますかね。いわゆる、なるほど、親のある子と、ない子ほどの違いというのは、こう言うもんかとなと言うような、おかげの別れ道と言うのは、そこからである。
おかげを頂いたところの1万円と。自分が働き出したところの1万円という。その1万の値打というのがです。そこから値打が分かってくる。そこからいよいよ信心の有り難さが分かって来るのです。信心のある者とない者は、親のない子と親のある子とほどの違いと仰せられるのは、そういうひとつのおかげを受けるということにおいてもです。それをおかげを頂いたんだとこう思うのと。
それはおかげでない。自分の働きによってと、いわば健康なら健康であるということは当たり前と思うておる様な人と。おかげと思い込んでいる人。そこに思い込めれる、思わないというところから、親のある子とない子とほどの違いが、いよいよ、はっきりしてくる。そこから、信心頂いておる者の値打というか、信心頂いておる者の有り難い生活が、そこから生まれて来るのです。
どうぞ。